信仰に対する教条的理解の危険性

寺社を参拝する事は悪いことではありません。でも「宝くじが当たりますように」とか「息子が大学に受かりますように」といった参拝は全く意味がありません。信仰とは、そんな現金なものではないのです。日頃から無心・無欲で、そっと神仏に手を合わせる。それによって、こころは自然に純化されていきます。それによって自然に思考や行動が善良になり、良い結果を生み出します。それが信仰です。私は浄土真宗を信仰する者ですが、お寺には一度も行った事がありません。「お寺に通えば救われるだろう」という不純で打算的な発想は、かえって悪運を引き寄せてしまうからです。信仰とは、そんな教条的なものではなく、自分のこころの中に「絶対的な存在」を置き、その方と、ささやかな交信を行う営みなのです。